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ループパイル

ループパイル生地の工業化

1800年代、トルコを旅行したイギリス人民族学者ヘンリー・クリスティーは、ハーレムで手工芸品として作られていたループパイル織物と出会います。その珍しい生地に可能性を感じた彼は、帰国後、父親の会社で働いていたサミュエル・ホルトにパイル織物を生産販売できないか相談しました。ホルトは手織機で試し織りを重ねました。そして1850年、最初のクリスティタオル工場が開設されました。
タオルのパイル
クリスティのタオルは、ロンドン万国博覧会で展示され、ビクトリア女王も顧客に名を連ねました。「ターキッシュタオル」と名づけられたそれは、またたく間に広まりました。
ターキッシュタオルはアメリカにも渡ります。1890年代、それまでポピュラーだったプレーンリネンタオルに替わり、よりソフトで吸収力の高いパイル地タオルが好まれるようになりました。アメリカではタオル製品の販売とともに、タオル生地の計り売りがあり、買った人が家で好きなサイズに切って、ヘムの処理をしてから使うことも珍しくありませんでした。家族の体格や好みに合わせて、ぴったりのサイズのタオルにして使っていたのかもしれません。
アメリカでは他の製造業と同じく織物工場でも機械化が進み、タオル生地の大量生産が可能になります。機械工業化によって、より多くのタオル製品が作られ、安く手に入るようになり、多くの人に使われるようになったのです。