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[コラム] 古代文献に見る日本の織物

古代の日本を知る上では魏志倭人伝が最も古い文献となりますが、そこに記載されている当時の日本の風習に以下のような文があります。
「禾稲(かとう)、紵麻(ちょま)をうえ、蚕桑緝績(さんそうしゅうせき)し、細紵ケン緜(さいちょけんめん)をいだす」です。意味は、稲を植え、紵麻(麻、ラミー)を植え、蚕を育てて糸を紡ぎ、布などを作っているとのこと。3世紀の日本では既に、麻と絹が衣類の材料として普及していたようです。他にも布と思われる単語はありますが具体的な成分が分からず、おそらく作り方の相違によるもので元は麻や絹であろうと思われます。日本書紀には木綿(ゆふ)という表記がありますが、当時はまだ現代の綿は普及していないので、クワ科のカジノキから採られた糸ではないかと考えられています。また古くから和紙の材料として楮(こうぞ)三椏(みつまた)雁皮(がんぴ)の靭皮などが中心に使われており、古代より様々な繊維が用いられていたようです。

吉野ヶ里遺跡
また、弥生時代の住居跡などから紡錘(つむ)が発見されています。これは紵麻などから取った繊維から糸を紡ぎ撚りをかける際、一定量巻き取る道具です。吉野ヶ里遺跡から繊細優美な透目絹が出土して話題になったように、当時から高度な織物技術があったことが分かりますね。
さて、綿(コットン)が東アジアに伝わってきたのは後漢時代といわれていますが、具体的に庶民に綿布として広がるのは、元から明にかけての時代です。元代の王禎「農書」には木綿の栽培方法と紡績方法が詳しく記載されています。当時の記録に木綿が大量に輸納されたという記述もあり、この時代から中国全土に綿栽培が広がり、日本にはそれからのちに、導入となったようですね。興福寺大乗院の「永正年忠記」(1510年)に三川木綿の名で残っているものが国内最古の記述といわれます。